日本の伝統技術や工芸品が海外マーケットへ進出する動きは今やますます重要になっています。 「手に職付けるんやで」 と昔はよく聞かされていましたが、今やデジタルとテクノロジーがものづくりを先行しています。 わたし(Yuko)の父は木造家屋の大工です。中卒で丁稚奉公し、20代で棟梁になり、建築家と喧嘩するタイプの典型的ガチ職人です。わたしは子供の頃から職人さんに囲まれて育ち、大学生になる頃までスーツを着た人と交流すら無かったほど😅 昔の大工さんは木を切って加工するところからが仕事でした。家は基礎からしっかりと、時間をかけて造り、屋根を施工するときには棟上げというセレモニーが近所の人を巻き込んで行われていたものです。それが風景となり、文化の一部となっていました。 時代が移りゆくに連れて、精度の高い機械と技術が入り、今や大工さん一年目でも感のいい人なら家が建てれるくらい技術が発達しています。他の業界でも同じ事か、テクノロジーが使えなければ廃業せざるを得ないという話は後を絶ちません。 日本の文化を創った先人の技術が消えていくのを間の当たりにするのは心が痛く、わたしとしても特別な思い入れがあります。 そこで今月は、V字復活を成し遂げた、または今も変化を遂げながら続いている老舗ブランドに焦点を当ててみました。 創業1907年 M. CROW M.CROWはオレゴン州の小さな街で創業したホームセンター。食料品、衣類、生活雑貨、金具や工具に到るまで販売していたので、開店してからずっと街の人の生活を支えてきました。2012年に閉業を強いられ、地元出身のインテリアデザイナー、Tyler HaysがCROW一家から買取り営業を再開しました。 2016年にオープンしたSohoのお店。ここがM.CROWの二店舗目です。 店内の最初の印象は、ギャラリーかショールームのよう。でもちょっと雰囲気がどちらとも違うんですね....それでもっと歩き進めると小部屋にユニークなお洋服や生活雑貨類もあったりして。 何よりも目を釘付けにしたのが、お店を構成するストラクチャーが全てオリジナルである事!床材、建材、ハンガーまで全て見た事ないものばかり。独特の雰囲気を醸し出しています。これはハマる❤️ どこを見ても何を見てもノスタルジックだけど新鮮で、こんなお店見た事ないんです✨ お店のお姉さんに、誰がお店とヴィジュアルをデザインしたのか尋ねると、 「Tyler Hays」 と一発回答してくれました。 Hays氏は、ハンドメイドの達人。5歳でミシンを覚え、9歳でゴーカートをエンジンから組み立ててしまいました。身の周りのものは全て自分で作らないと気が済まない彼のものづくりへの情熱は、ペインターや造形師としてのキャリアになります。1990年代にはオリジナル家具の工房と販売するBDDWを立ち上げ成功へと導きます。 SOHO店には幼かったHays氏の思い出が凝縮されています。子供の頃に手作りしたおもちゃがキットや商品となって販売されていたり、家具、什器、床材もドアの取っ手も全て、彼のデザイン工房で作られています。 多くの材料は、オレゴン州の地元や現在のBDDWの工房のあるPhiladelphiaとLostineから調達していて、そこに住む多くのスタッフの仕事と生活を支えています。
こんな風に、地元の家業を救っただけでなくコミュニティー全体をサポートし続けるHays氏のビジネスは、これから日本が海外へ進出する際のヒントとして生かせそうですね!
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中尾ユウコ青木チサトヴィジュアルデザイン/コンサルタント
2000年にオープンした3300坪の大型ライフスタイル提案型アパレルの立ち上げVMDメンバーとして出会う。その店舗専用のVMDマニュアル&システムを築きあげ、ヴィジュアル漬けの日々がスタート。 以降、究極のVMDを目指すべくそれぞれ修行の道へと撃進する。 2009年Yukoはニューヨークへ活動の場を移す。世界最古&最大の売り場面積を誇る、クリスマスで有名な百貨店のウィンドウチームに配属。作ったウィンドウ数知れず。(本当に数えれない...) 2010年Chisaは東京でスウェーデン発世界一の店舗数&売り上げを誇るあのアパレルでVMDとしてトレーナー、フラッグシップ店統括に就任。育てたスタッフと立ち上げたプラン数知れず。(計測不可能の域に達した) 数年後二人ともあっさり離職。同じところに居続けれないタイプ。 現在もVMDの領域を超えて、NYCと東京でクリエイティブなフリーランス生活を謳歌している。 Archive
7 月 2018
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